鈴木安右衛門記念碑

Go Index 日本の川に戻る 北上川水系に戻る Last update 2004/11/06


鈴木氏記念碑   宮城縣知事從四位勲三等松平正直篆額
陸前國本吉郡麻崎村民罹奇疾者大半而不辨其病名其以特在黄牛之地也土人●曰黄牛水腫黄牛者麻 嵜村内一部落也初元治慶應之間村民有毎●月病浮腫者而飲食不進乃天稍寒或不藥自愈明年復發漸 次瘠弱而死如此者歳多於一歳衆醫無能治隣邑皆懼不肯通婚娶十七年九月本縣醫學校敎諭柴田勝央 来診病見大便中有微卵曰肝臓必有病源矣非解死尸視之無能審也僻境民難之無應者君之得疾也自知 不起上書郡衙曰某不幸罹奇疾死在旦暮若夫死之後有剖鮮其尸而原疾之所由起以供濟生之料則闔郷 之幸也敢請余乃遣郡書記某病院長某伺察其病状君疾己革頗艱言語猶擧頭言其志擧家止之君起色曰 吾言不聽寧縊死耳衆知其志不可奪涕泣鳴咽不敢違也君自此斥藥餌不復飲食経十餘日遂死享年五十 有七輸尸於本村福田寺柴田敎諭與佐野病院長掌解剖事先發肝臓視之色緑而黝有白斑大如小豆隆起 布于前面割之蠢々蠕々櫕簇成塊更割膓胃及膽亦皆蓄無數之蚘伹比肝臓稍少云盖西人所謂治須登米 者也是曰衆醫来觀者以百數皆相顧愕然於是乎知病毒可畏而警戒不可忽矣志于治術者因之以有講究 其理而磨砺其業則禍根撲滅之期可企而望也更推而論之仁術所及将有不止一家宗族郷閭之間則此擧 於世道豈唯小補云乎余也奉職於郡長而部民有美徳焉亦受其慶安可不一言哉乃與衆胥謀植碑於其壙 側不辞其拙文而記之君稱安右衛門世為本村民父曰淺右衛門母及川氏有一男二女銘曰
 黄牛之民 數罹沈痼 廿有餘年 無知其故
 卓彼男子 志在濟人 穹碑斯鐫 遺徳曷泯

 明治二十一年七月 宮城縣本吉郡長從七位戸澤精一郎撰文 佐佐木舜永書

宮城県本吉郡津山町黄牛の音声寺近く
この付近では黄牛病と呼ばれる風土病があり、その病に冒された鈴木安右衛門が解剖を申し出て肝吸虫症によるものとわかった。締切沼でとれた淡水魚を刺身で食す習慣があったため、とされる。
(参考)
「ある医学史の周辺」森下 薫著 日本新薬 昭和47年発行
「踊る腹のムシ」藤田紘一郎著 講談社文庫 ISBN4-06-273630-6

鈴木安右衛門解剖記念碑について
 古来、北上川の周辺は肝臓・ジストマの発生地域として有名でありましたが明治の半ばころまではその病源が不明で多くの人命を失いました。
 この不治の病を解明するため、病魔に冒された安右衛門は自ら進んで死後の解剖を申し出て病原体発見の端をつくり当時の予防医学に絶大な貢献をされました。
 この解剖記念碑は我が国寄生虫史上極めて貴重な財産とされ津山町の誇る偉大な文化遺産であります。
  平成元年十月二日
     津山町文化財保護委員会


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