及川舜一治水功績顕彰碑

日本の川と災害 > 日本の川> > 北上川水系 > 磐井川 > JR東北本線橋梁〜東北自動車道 > 及川舜一治水功績顕彰碑  Last update 2008/06/22


一関市青葉2丁目
磐井川 磐井橋上流左岸

及川舜一治水功績顕彰碑

 及川舜一治水功績顕彰事績
 一関地方は地形気象などの自然的条件により宿命的な洪水常襲地帯となっており 古来よりかずかずの激甚な災害が発生し 幾多の尊い人命と多くの資産が失われてきた
 特に 昭和二十二年(一九四七)のカスリン台風同二十三年のアイオン台風による磐井川北上川の大洪水は 有史以来未曾有の大水害となり 一関市のみで実に死者行方不明者五七三人 罹災者四一〇七四人 流出全壊家屋二七五三戸 田畑の流失五一三ヘクタール 被害額八一〇億円(昭和五十五年価格換算)に及ぶ大惨害をこうむり 世人をして一関市は再起不能とまでいわしめるほどであった
 岩手県土木吏員の及川舜一君はカスリン台風直後の昭和二十二年十月一関土木事務所長として赴任し 一身を顧えりみず東奔西走し昼夜を分かず不屈の精神で水害復興事業に全力を傾けて取組み見事な成果をあげたのち 昭和四十年招かれて一関市建設部長に着任 のち助役 市長となりこの間四十六年一貫して北上川 磐井川 吸川の根本的河川改修に尽瘁し 再び市民にカスリン アイオンの苦しみを繰り返させないよう願いながら各事業の促進を図った結果今日市内の河川は面目を一新し 一応の安定をみるに至った その主なるものは
一 磐井川改修の上位計画を変更させ川幅を従前の二倍に拡幅し 更に北上川合流点をショートカットするなど高水流量を毎秒最大一三〇〇立方メートルに拡大して磐井川の洪水防除を成し遂げた
二 二〇世紀 我が国での最大級の河川改修事業といわれる北上川上流改修一関遊水池事業を昭和四十七年に着工させ 一関市平泉町を百年の大水害からも守られるよう心血を注ぎ 事業着手二〇年で周囲堤の概成を成し遂げた
三 吸川の全面改修では 全国でも珍らしいトンネルによる分流方式をとり 上流部でバイパスカットをして下流部の高水流量を軽減し 市街地を南から襲う洪水を克服した
 などであるが 一関市の災害を未然に防止し国土の保全と市民生活の安定を図り活力あるまちづくりに尽くした事績はまさに前人未踏の偉大な事績であり 今日発展した一関市の基礎づくりをなしたもので市民ひとしく感謝と尊敬の念を抱いているものである ここに及川舜一治水功績顕彰碑を建立し 永くその事績を称揚するものである
 平成五年五月
 及川舜一治水功績顕彰碑建立発起人会
  北上川治水地権者会 会長 須藤弥左衛門
  磐井 堤防補強促進協議会会長 佐々木一栄
  一関市商工会議所 会頭 小野寺栄一
  一関農業協同組合 組合長 佐藤良行
  一関消防団 団長 千葉正彦
  岩手県建設業協会 一関支部長 須田利治
  新いわて政経学会 代表幹事 宇部貞宏
  元一関収入役 黒沢定雄
  前一関市建設部長 吉田克巳
  及川舜一後援会 小野寺新一郎
        平沢石材店刻


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