千田左馬遠藤大学記念の碑

Go Index 日本の川へ戻る 北上川水系に戻る 胆沢川へ戻る Last update 2004/04/24


千田左馬遠藤大学記念の碑
 縣下第一の米産地帯である胆沢平野も 徃昔は潅漑の途もなき荒野であった それを今日の沃田と化せしめたのは 三五〇年前の福原館主後藤寿安と共に寿安追放の後をうけて延長一七キロメートルの寿安堰を完成した 関郷千田左馬 遠藤大学 の功によるものである 当時に於て 斯有る大工事遂行の困難は 真に言語に絶するものであったが 両先覚は地元農家の指導的家柄に生れたことの自覚 新山権現を氏神とする開拓精神 師寿安に学ぶ奉仕の精神によって よく地元民の協力を得 その困難にうち克ったのである
 堰の近代化既に成り米産の意義亦国に高からんとするに際し 茲に その徳を石に刻して 永く後進に伝えんとするものである
 昭和四十一年十一月
  遠藤後一識


(胆沢郡前沢町お物見公園内)

(裏面)
寿安堰関係農民建立


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