寿安堰記念碑

Go Index 日本の川へ戻る 北上川水系に戻る 胆沢川へ戻る Last update 2003/10/24




壽安堰記念碑 岩手縣知事國分謙吉篆額
元和の昔後藤壽庵の館を訪ずれた宣教師が膽澤はまるでアラビヤの沙漠のような所 だと羅馬法王に報告した 昭和の今日は岩手の穀倉と稱えられる沃土と化している この驚くべき變化は何れに因るのであらう後藤壽庵と彼を援けた西洋人もまじる民 衆のおかげである三百年間吾等の祖先達は營々努力の結果この見事な樂土と成し天 下に名高い膽澤米の美味をも作った成功の根本は壽庵堰の灌漑にある即ちここは奥 羽地方に於て最も早くヨーロッパ文化が移植せられその理想が立派に實を結んだ郷 である膽澤から爾來陸續と進取的な人材の輩出するのも偶然ではないつまり壽安堰 はこの地の自然を潤して永遠に豊かな稔を惠むばかりでなく高く新しい精神をいだ く人々をも育くんでいるのだこの水を汲む二町七ヶ村の民衆は昔から和恊啓発の教 に則つて先人苦辛の址を愛育して來た近世壽庵堰水利組合を結んで睦しく揚水管理 に當つて來たが今度新に膽澤平野土地改良區の設置されるに及んで大きな功績を遺 した組合を解散し事務一切をそれへ委譲することになつたここに永く麗はしい吾等 の歴史を閔するに當り経緯を刻して記念とする所以である
 昭和二十五年八月 岩手縣膽澤郡水澤公民館長樋口正文撰文


(岩手県胆沢郡胆沢町土橋 徳水園内 北緯39度07分31秒 東経141度01分29秒)


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