右京江用水障害対策事業竣工記念碑

Go Index Back 北上川水系に戻る 江合川に戻る Last update 2004/03/31


右京江用水障害対策事業竣工記念碑
 本地区の主水源である江合川は、昭和三十 三年上流に鳴子ダムが設置されて以来、上流 からの砂利の流出という自然の営みが妨げら れ更に建設業界の発展による砂利採取が増大 するという悪条件が河床の低下を著しく早め た。
 昭和三十三年より昭和四十三年までの河川 測定の結果右京江堰樋門附近で約一・二メー トルも河床が低下し横埣堰、六軒丁堰の両堰 とも例外でなく、各土地改良区それぞれの自 然取水堰よりの取水は困難を極めた、関係農 家は毎年 莫大な経費と膨大な人力を投じ辛 じて急場をしのぎ安堵する間もなく一夜の豪 雨によりおし流されるという状況が、幾度か 繰返された。
 これが打開のため小牛田町長栗村和夫氏を 会長とする江合川水系土地改良事業推進委員 会を結成、関係三町並に土地改良区役職員、 関係農民一丸となりこの窮状を建設省東北地 方建設局北上川下流工事々務所に陳情請願を 重ね、本省にも幾度となく上京陳情しこの熱 意が上聞するところとなり昭和四十七年建設 省は国営事業で右京江堰下流五十メートル地 点に護岸工事と河床低下部分の床固め工事を 施工することとなった。
 この床固め工事施行に当り江合川漁業協同 組合の協力あった事も記録にとどめる。
 次に幹線用水路改修に取り組むに当り農林 水産省所管の用水障害対策事業として施行す ることにも難渋を極めたが遂に国・県が窮状 を認める事となり昭和四十八年県営事業とし て念願の着工の運びとなったのである。
 工事計画は関係三土地改良区の各自然取水 樋管を右京江土地改良区の取入れ樋管に統合  用水路は從来の右京江幹線水路を主幹とし 各関係区域に分水することとし、右京江幹線 用水路六〇九二米、涌谷江幹線用水路一八八 〇米、六軒丁江幹線用水路一五五三米、六軒 丁サイフォン二一〇米、を鉄筋コンクリート フレーム型水路とし七年の歳月と九億二千三 百万円の工事費で、関係農家一〇三五戸受益 面積九七二・三ヘクタールの圃場を潤し、用 水の維持管理、労力の節減によって農業経営 の安定と近代化を進める歴史的礎石がここに 完成をみることとなった。
 これ偏えに関係諸官庁のご理解と関係三町 並に関係土地改良区の役職員又関係農民の力 の結集の賜である。
 特に鎌田健治氏が中心的存在として本事業 推進に当り捧げられた熱意と円満な徳望の対 し改めて敬意を表し、地区農業百年の計の樹 立を見たことを忘れ得ない感激とし特筆する ものである。
 ここに記念碑を建立し銘記すべき工事完成 までの由来を刻んで、永く後世に伝える所以 である。
 昭和五十五年三月十一日
 題字 宮城県知事 山本壮一郎
 選文 右京江土地改良区理事長 千葉直司

遠田郡小牛田町牛飼 江合川右岸20k0(遠田橋上流)
(北緯38度33分34秒 東経141度02分50秒)

(裏面)
江合川土地改良事業推進委員会
会長 小牛田町長 栗村和夫
副会長 前右京江土地改良区理事長 鎌田健治
仝 前右京江土地改良区理事長 千葉直司
参与 田尻町長 山村健吾
仝 田尻町長 峯浦耘蔵
仝 涌谷町長 大平徳弘
(中略)
建設省東北地方建設局
元北上川下流工事事務所長 内田孝吉
仝 縄田照美
(以下略)


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