千貫開墾圃場整備竣工記念碑

Go Index 日本の川に戻る 北上川水系に戻る 旧北上川に戻る 旧迫川に戻る Last update 2006/03/05


登米市米山町中津山字東千貫
世界測地系 北緯38度38分44秒,東経141度8分6秒

 米山町中津山の千貫短台の地域は往時北上川水 系迫川に一大遊水地帯にして皇宮治附属地として 帝室林野管理局の管轄下に置かれ 葦や萱の茂る にまかせた自然荒蕪の地であった 北上川水系の 河川改修事業の進展に伴い 大正十二年一千二百 町歩に及ぶこの地が米山村に払い下げられ その 後曲折を経て昭和十年迫川沿岸耕地整理組合が設 立され 千貫谷地の本格的開拓がはじめられた
開墾事業は度重なる水害等 自然の暴威と日支事 変の戦火が遂には太平洋戦争に拡大して行く日本 の歴史的背景の中で進められたのであるが 広漠 たる原野にはじめて鍬を入れた入植者の不屈の斗 魂によって 幾多の困難を克服してこの難事業が 成し遂げられたのである 昭和二十年戦争は無残 な國土の荒廃をもたらして終ったが 戦後の農地 改革による自らの血と汗をもって拓いた耕地の解 放を受けた千貫の人々は 戦後の新しい時代に向 っての農業基盤の整備と豊かな地域社会の建設を 目ざし地域の固い連帯の中で更に前進を続けた
昭和二十三年のアイオン台風や三十七年の県北地 震による激甚災害等戦後の道のりも決して平坦な ものではなかったが 昭和四十一年旧迫川沿岸国 営かんぱい事業が着工され 続いて附帯県営かん ぱい事業そして昭和四十七年には旧迫川地区大規 模圃場整備事業の着工を見るに至ったのである
 不毛の原野に鍬を入れて以来風雪五十年の歳月 が流れ 粒々辛苦の努力がここに実を結びみごと に整備された美田が今私達の目の前にひろがる
水と斗い水を治め今日の確固たる千貫の基盤を築 きあげた五十年の歴史に想いをいたし 千貫の限 りない発展を心から祈念してやまない
   昭和六十一年五月
    米山町長菅原裕男撰文並書


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