畑中喜右衛門碑

Go Index Back 子吉川水系に戻る Last update 2004/05/05


(由利郡由利町吉沢)

●光院 ●●●●居士
前郷村畑中喜右衛門先祖也
貞享三丙寅年九月七日

 畑中喜右衛門碑
 江戸時代明暦の頃(一六五五)吉沢部落の人家は、わずか十二戸にすぎなかった
 当時は洪水の度毎に川岸が侵食されて田地をせばめ、家屋敷等も危険にさらされていた
 時の滝沢郷の名主、畑中喜右衛門(前郷)は、河川の改修を度々代官所に訴えた
 しかし代官奥山源兵衛は、これを強訴として憎んで捕らえ、農民煽動の罪をきせ、万治元年(一六五八年)九月七日打ち首の刑に処した 処刑は、喜右衛門の希望により、川の見えるこの地「芋ヶ台」で行われた
 死に際して喜右衛門は、「我亡き後も、霊魂はここにとどまり、必ず川の流れを変えるであろう」と予言したという
 その後豪雨襲来、濁流氾濫し、ごうごうと天地を裂くがごとき音がとどろき、ついに川の流れを変え、現在のようになったと伝えられている
 それからは、吉沢の田地は広く美田となり今日の繁栄をみるようになった
 貞享三年(一六八六年)吉沢部落民は喜右衛門の殉難の大志を追慕し、この処刑の地に碑を建立し 毎年命日には御霊を慰めている
 平成三年九月吉日
  建設省秋田工事々務所
  社団法人東北建設協会
  由利町教育委員会 碑文

町指定史跡 畑中喜右衛門の碑
平成五年六月二十二日指定
由利町教育委員会


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