臼ヶ筒樋門記念の碑

Go Index 日本の川へ戻る 鳴瀬川へ戻る 臼ヶ筒樋門に戻る Last update 2004/03/12


 臼ヶ筒樋門記念の碑
本耕土はその昔北に名鰭沼南西に鳴瀬川が蛇行しその間に大小の池沼が点在する大茅谷地であったが元禄十一年仙台藩による鞍坪潜穴の掘鑿、千代窪樋門並びに三軒屋敷樋門の造営天保四年の青木沢の掘鑿等の排水工事により逐次開田され今日に至ったのである
本町の歴史は開拓と土地改良の歴史であったその間臼ヶ筒樋門は大柳木間塚二郷大窪塩入広渕小松矢本大曲の九ヶ村二千数百町歩の取水源としで重大な役割を果してきたが明治四十年に至り恒久的な樋門の開設を見たのである
その後河川改修の補償工事として昭和三十五年近代的な樋門が造営されたが河床の変化により自然取水意の如くならず加うるに用水の合理的配分の必要にせまられここに揚水機場新設に意見の一致を見昭和三十八年度の積寒事業として知事の承認を得 仝三十九年三月竣工を見るに至ったのである
ちなみに工事の計画並びに予算の概要を付して永く記録する
 遠田郡南郷土地改良区

(裏面)
昭和四十一年二月二十八日建立


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