千田忠喜翁之碑

Go Index Back 雄物川水系に戻る 山城堰頭首工に戻る Last update 2004/06/14


顕彰
千田忠喜翁之碑
根本龍太郎書

(裏面)
 その半生を土地改良事業一途に尽瘁された千田忠喜氏を大方の人は千忠さんと呼んでいた 身
近かにいる人々は親父と言っている 親父と呼ぶ人々にはそう呼ぶことによって何物にも替え難
い敬愛の念がこめられていた 厳しい近寄り難い一面とその懐に入るとぬくぬくとして住み心
地よい大らかな千忠さんの人柄がそこにあった 時が移り世の中が変っても親父を囲む人の動き
には変ることがなかった むしろ無骨で野人で大人風な雰囲気に魅かれて人の輪が広がって来た
のだった そうした千忠さんの事業との関わりは戦後の荒廃その極にあった昭和二十七年から始
まる 土地改良事業は極めて地味で至難な業である 誰でも出来る訳でもなかった 農民の総意
をまとめ県や国から援助を得なければできない仕事であった 見通しがきき 指導力や統率力に
長け 相手を説得する熱意と誠実さが必要であった それらのことを千忠さんは生れながらに持
ち合せていたかのように多くの難事業をやりとげてくれた 頭首工も出来た 葛ヶ沢や杉の沢の
溜池もできた 圃場整備も雄物川の堤防も仕上った 恒常的な水害と水不足に悩み続けてきた山
城堰水系の田地がそれによって近代的な姿に一新した ありがたいことである 今多くの農民達
と千忠さんを知る多くの人々の感謝の心をこめて顕彰の碑をこの地に建てる 頭首工を一望する
この地こそ千忠さんの事績とその名を後世に伝えるにふさわしいゆかりある地だと思う
 昭和五十八年五月  顕彰碑建立委員会


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