雄物川水系に戻る 皆瀬川に戻る 皆瀬頭首工に戻る Last update 2004/06/20
国営県営雄物川筋農業水利事業完工記念碑
昭和五十五年四月二十五日
笹山茂太郎書
(皆瀬頭首工右岸)
(裏面)
事業概要
この事業の実施地域は、秋田県南部に位置し本県最大の河川である雄物川の
中流部に展開する通称横手盆地にある横手市ほか2市4町1村に跨る凡そ11
,408haに亘る広大な水田地帯である。 この地区水田の開拓は古く、
史実によれば遠く天平、宝字年間と記録され、秋田米の生産地として知られ、
その水源は雄物川の支流皆瀬川と成瀬川に求めて来たが、その流量が少なく旱
天が続けば忽ち水不足を来たし随所に水の紛争が絶えず流血の惨事もめずらし
くなくまた一方降雨が続くと蛇行した自然河川は氾濫しその被害も甚大を極め
営農上多大の苦しみを受けて来た地区である。 よってこれらを解消するた
め当時の先覚者達の努力により溜池の築造、地下水の利用、取入堰、用水路等
の改修を行なって恒久的対策をはかってきたが何れもその規模が小さいため、
抜本的対策とならずその都度甚大な被害を受け、更に加えてこの費用負担も血
の滲む米代金のうちで賄われなければならなかった このような悪条件を
克服すべくたまたま地域の有志が相計り、先づ絶対量の水源を確保し、取水井
堰の統合による水の合理的配分と利用が問題の解決策であることから国並びに
県に対し強くこの対策運動を展開しその間代ヒジ世界大戦の勃発敗戦の辛酸を
なめ紆余曲折を重ねながら当初昭和14年横手盆地を一団とする土地改良基本
計画調査開始より事業完了まで実に42年の長年月をかけ今日完工の運びに至
った経緯の概略をこの碑に刻み後人に伝えるものとする。
事業名 | 国営かんぱい事業(皆瀬、成瀬地区) | 国営附帯県営かんぱい事業(雄物川地区) |
受益面積 | 11,408ha | 9,720ha |
事業量 | ダム取水塔1ヶ所、溜池1ヶ所 頭首工2ヶ所 用水路62,093M、排水路39,632M |
揚水機場3ヶ所 送水路 5,613M 用水路 90,475M 排水路 24,227M |
事業費 | 13,999,770千円 | 5,795000千円 |
事業期間 | 昭和19年4月〜昭和56年3月 | 昭和40年4月〜昭和57年3月 |
昭和14年〜昭和16年 | 横手盆地を一団とする土地改良基本調査開始 (農林省、秋田県合同調査) |
昭和20年 | 前記基本計画に基づき全体計画書作製 |
昭和21年 4月 | 事業の着手(農地開発営団による大屋沼ダム着工) |
昭和22年 9月 | 農林省直轄工事となる(農地開発営団の閉鎖に伴い大屋沼ダムは農林省に引継ぎ) |
昭和25年12月 | 全体計画第一次変更 |
昭和26年 2月 | 全体実施設計の決定 |
昭和26年 3月 | 土地改良事業計画書の縦覧公告 |
昭和27年 | 草の台ダム築造期成同警戒の発足 (当初成瀬川水系に東福寺ダムを計画であったが地元の反対、 地質関係からこれを中止した) |
昭和28年 3月 | 大屋沼ダム竣工 |
昭和28年 | 皆瀬川、成瀬川の再調査実施 |
昭和28年〜昭和32年 | (草の台ダムを築造すべく調査を実施これに伴う井堰水路の 検討を行った。) |
昭和33年 3月 | 雄物川筋国営土地改良促進協議会発足 (皆瀬川水系、成瀬川水系、受益市町村、土地改良区水利用 体をもって結成) |
昭和33年 4月 | 皆瀬ダム着工(建設省) |
昭和33年11月 | 皆瀬ダム(多目的)を水源とする事業の基本計画を決定、 (草の台ダムは地質関係からこれを放棄し皆瀬川上流貝沼池 ●は建設省が調査計画の皆瀬ダムにアロケーションを行い不足用 水を依存する。) |
昭和36年 9月 | 国営皆瀬、成瀬地区一部着工(皆瀬ダム取水塔、皆瀬頭首工) |
昭和38年 4月 | 国営附帯県営事業計画採択(皆瀬、成瀬地区) |
昭和38年 9月 | 皆瀬ダム完成 |
昭和38年12月 | 雄物川筋土地改良区連合設立、認可 |
昭和40年 2月 | 国営附帯県営事業について申請(法第55条) |
昭和40年 4月 | 国営附帯県営事業着工 |
昭和43年 3月 | 雄物川筋土地改良区設立認可 |
昭和43年 9月 | 雄物川筋土地改良区連合解散議決、認可 |
昭和47年 1月 | 国営、国附帯県営第一次計画変更の決定 |
昭和50年 4月 | 附帯県営第二次計画変更決定 |
昭和52年 2月 | 成瀬川水系ダム築造期成同盟会を結成 |
昭和55年 4月 | 国営県営雄物川筋農業水利事業完工式を挙行 |