水利調整対策協議会のあゆみ碑

Go Index Back 雄物川水系に戻る 皆瀬川に戻る 成瀬頭首工に戻る Last update 2004/06/20


米の古里 水を求めて 明日を拓く
昭和四十七年九月
増田町水利調整対策協議会
 会長 照井志知郎書

(成瀬頭首工右岸)

(裏面)
水利調整対策協議会のあゆみ
私達の祖先が今から一、二三九年前(天平五年)頃より成瀬 川を水系として稲作農耕をなし生活を営み今日に至ってい る。明治を前後して水の需要が増え水利権をめぐって水争 いのため流血の惨事を起す事態が数限りなく生じた。これ を解消するため昭和二十二年農林省が東福寺にダムを計画 したが地元の反対のため断念しその後草の台に変更したる も地盤脆弱のため中止となり昭和三十三年多目的ダムとし て皆瀬ダムが築造されたが増田地域の潅漑用水として潤わ ず地域除外の要望が大きく期成同盟会を結成反対をしてき たが受益者から新たな要望として八木頭首工よりのポンプ アップ施設、成瀬水系より水の公平な配分旱害解消条件が 出されたので期成同盟会を解消し昭和三十九年一月廿六日 新たに水利調整対策協議会を発足せしめ米作り農民の総意 を結集し水利関係の要望を統一各種運動を展開、農民魂の 一念が水利の民主化を達成し遂に成瀬頭首工の完成をみる に至りこの輝かしい記録を後世に伝えるため、ここに記念碑を建立するものである。
 昭和四十七年九月十二日 増田町水利調整対策協議会

会長 照井志知郎
(以下略)


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