小河内ダム

Go Index 日本の川へ戻る 多摩川水系へ戻る Last update 2000/08/15














奥多摩湖

余水吐ゲート

余水吐水路





第二取水設備

多摩川冷水対策施設概要

 多摩川冷水対策事業は、既設の小河内貯水池第二取水設備と多摩川第一発電所を新たに導水路で連絡することにより、夏季における貯水池表層の温かい水を多摩川に放流し、冷水の改善を図るための施設です。
(現地案内板より)



小河内貯水池のしおり

 小河内貯水池は、戦前に工事を開始し、戦争による工事の中断もあって、完成までには二十年という長い年月を費やしました。
 完成までの経過をかえりみますと、昭和七年に多摩川のこの地点にダムを築き、その貯留水を東京の水道水源にしようとする計画が、当時の東京市会で決定されたのです。
 そのころ東京市の発展はめざましく、市民の水道使用量は、年々増加していましたので、大東京実現のために、欠くことのできない水道の基本計画として打ち立てられたものです。
 この計画によって、旧小河内村(現在の奥多摩町の一部)の大部分と丹波山村、小菅村の一部が湖底に沈むこととなったため、村民への移転補償が最大の問題となりました。しかし、小河内村村長であった小沢市平氏の大英断によって、関係村民のご理解が得られ、また、ダム築造にともなう水利その他の問題についても、国および神奈川、山梨両県ならびに東京電力株式会社の深いご理解とご協力によって、それぞれかなりの日時を費やしましたが解決し、昭和十一年七月に政府の事業認可が得られ、昭和十三年十一月から本格的工事に着手しました。
 しかし、そのころは戦時中でもあり、人員や資材の調達に極めて苦しみながら、でき得る限り工事を進めてきましたが、戦争はますます激化するばかりで、ついに昭和十八年十月、やむなく工事を一時中止することになりました。
 戦後、東京都の復興と人口の急増に、小河内貯水池建設工事の再開は欠かせないものとなりました。昭和二十三年四月、東京都議会で事業再開が決定され、同年九月には建設工事を再開しました。
 再開後は、戦後のきびしい国内経済情勢下にあって、資材やとくに資金の調達に苦しみながら工事は昼夜兼行で続けられ、ダム工事のほとんどを終えた昭和三十二年六月には湛水を開始し、同年十一月、小河内貯水池の全工事が完成をみたのです。
 小河内貯水池の建設工事は、八十七名もの尊い犠牲者を出したほどの難工事であり、技術開発や資金調達などにも数多くの難関がありましたが、初代の小野基樹建設事務所長、二代の佐藤志郎所長以下関係職員が、情熱と英知を傾けて克服したものであります。
 この貯水池は、日量約四十二万立方メートルの新たな利水をはかる目的で建設したものですが、今日では本来的な役割のほかに、夏の水需要期や利根川の渇水時に原水の補給能力をいっそう高めるため、小河内ダムの放流施設が増強されましたので、多摩川と利根川の相互融通がはかられて、安定吸水のきめ手となる重要な役割を果たしています。
 小河内貯水池竣工二十五周年にあたり、地元村民ならびに建設に関与された方々に、深い敬意と感謝の意を表するとともに、殉職されました方々のご冥福を心からお祈り申し上げます。

 昭和五十七年十一月 東京都水道局
(現地説明板の記載内容)

水と緑のふれあい館

東京都水道局の広報施設
小河内ダムの役割、3Dシアターなど
9:30-17:00、水曜、年末年始休館、入館無料
JR青梅線奥多摩駅から小河内方面行きバス20分奥多摩湖バス停下車
東京都奥多摩町原5番地
tel 0428-86-2731


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