霊松院 内藤十左衛門墓

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岐阜市岩崎 霊松院



本性義空居士

薩摩工事義歿者 内藤十左衛門之墓

寳暦四年甲戌年四月二十二日



瑞巌山霊松院禅刹
県史跡 宝暦治水工事義歿者墓

岐阜県指定史跡
宝暦治水工事義歿者墓
 多良陣屋高木新兵衛の家臣内藤十左衛門の墓 である。
 宝暦五年(一七五五)三月下旬木曽、揖斐、長 良の三川治水工事が完成したが、工事施工の責 任をとって割腹自害した義歿者は、総奉行平田 靱負以下数十名に及び、同四年四月二十二日、 工事半ばにして自害した内藤十左衛門もその一 人であった。
 宝暦治水工事の築堤工事を監督をしたのが、 多良の高木家と笠松郡代青木次郎九郎であった。 内藤十左衛門は、高木新兵衛の家臣で、尾張梶 原村から伊勢田代輪中に至る区域の工事を担当 し、桑名郡五明村詰所に派遣された。
 十左衛門は築堤工事を監督していたが、同村 の庄屋与次兵衛は命令に従わなかった。おそら く検査の時に築堤工事の不備が指摘されて、主 人高木新兵衛にまで責任が及ぶと考え、その責 任を一身に負って自害したことが、青木次郎九 郎の聞取書によってわかる。
 十左衛門は、元岩崎陣屋の役人であり、また 霊松院の信徒でもあったため、この地に葬られ たと伝えられている。
 平成三年八月一日
         岐阜市教育委員会


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