清江寺薩摩義士墓・寶暦治水義士之碑

Go Index 日本の川に戻る 木曽川水系に戻る 宝暦治水に戻る Last update 2006/10/27


岐阜県羽島市江吉良町

薩摩藩士治水之碑

右端 薩摩藩士導師 鐵舩積翁大和尚品位
右から二番目 空屋淨心居士(平山牧右衛門)
右から三番目 格心智外居士(瀬戸山石助)
右から四番目 即音良隨居士(大山市兵衛)

空屋淨心居士
薩摩國俗名平山牧右衛門

格心智外居士
薩摩國俗名瀬戸山石助

即音良隨居士
薩摩國俗名大山市兵衛

寶暦治水義士之碑
  岐阜縣知事正五位勲五等川路利恭篆額
  愛知縣東春沙門宮田慈僊應需撰文并書
明治貮十又四●初冬濃尾一帯之地俄然者大震災于時清江精舎
亦罹斯急難遂堂宇總而屬破滅矣然至本年企伽藍再興而際開拓
境内一隅之籔林忽●發見薩摩藩士寳暦治水洵公●中瀬戸山石
助平山牧右衛門大山市兵衛等三氏之墓碑焉嗚呼追憶則公等寳
暦治水之當時爲●國家主君何苦心焦慮状終偉業竣工却而以死
報荅國主其思想之義●●●●●物今追慕公等之遺業茲當寺現
住信保具壽與分水●志石等相謀同心協力叙建設一庁之断碑而
傳之後世云爾維時明治参十斉五 龍舎壬寅晩秋

岐阜県史跡 江吉良清江寺薩摩工事義歿者
瀬戸山石助
平山牧右衛門
大山市兵衛
岐阜県教育委員会

岐阜県羽島市指定史跡
薩摩工事義歿者 瀬戸山石助 平山牧右衛門 大山市兵衛之墓

 羽島市江吉良町清江寺
 江吉良町の清江寺にまつる三義士はいずれも濃尾平野の 治水工事のため、宝暦四年幕命を奉じて遠く薩摩から当地 に来住し、一の手出張小屋(下中町石田)に入り、木曽川 の改修と逆川の締切りの難工事に当っていた。
 第一期工事は大体三月中旬早くも完成したが、間もなく 雨期に入ると共に密命された人々の破壊活動が始まったの で、これを根絶するためにやむをえず逆川堤上において斬 殺した。これが幕府の忌諱にふれて自責の念にもたえず先 ず瀬戸山石助が八月九日割腹し、続いてその初七日の八月 十五日平山牧右衛門氏、さらにその初七日の八月二十一日 に大山市兵衛氏と相次いで自刃して相果てた。
 清江寺の住職鉄船師は深く三義士の死をいたみ、禁を犯 してねんごろに寺内に葬った。
 尚、瀬戸山・平山・大山の三義士はそれぞれ次の辞世を 残している。
○今茲(ここ)に死する身こそはくつれども
 我が誠心は千代に伝えも    瀬戸山石助
○膽(たん)をなめ薪に寝(いね)てなしたれど
 繕(つくろ)へざるは財布尻なり 平山牧右衛門
○濁る身も何時(いつ)の世にかは浮びなん
 鉄の御船のろかいたよりに   大山市兵衛
昭和六十三年十一月再建
      羽島市教育委員会


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