日本の川と災害 > 日本の川 > 木曽川水系 > 宝暦治水 > 円成寺 薩摩義士墓 Last update 2008/01/26
海津市南濃町太田 円成寺
78 045 325*22
薩摩工事義歿者の墓
宝暦三年(一七五三)十二月二十五日、徳川幕府は
薩摩藩に濃尾三大川の治水工事を命じた。薩摩藩は
家老平田靭負以下一千余名の義士を派遣し、四十万両を
越える巨費と、藩士八十数名を失うという犠牲をはらっ
て、宝暦五年五月に見事に完成した。世にいう宝暦治水
工事、日本治水工事史上、最難工事の一つである。
総奉行平田靱負は工事完成のあかつき、一切の責任を負
って五月二十四日早朝養老郡大巻の館で切腹自刃した。
南濃町も、この工事の際、三の手工事の区域として
安江谷・山崎谷・羽根谷・徳田谷・志津谷の改修工事
及び津屋川の洲浚渫工事等十九か所に及ぶ工事をうけた。
故郷を遠くはなれた美濃の地において、あらゆる辛苦
に耐えぬき、ひたすら工事完成に尽瘁された藩士の功績
と労苦を偲ぶとき、私たちは畏敬と感謝のおもいを一層
深くするものである。
当墓所には、この工事のさなかに割腹された十三士の
墓所があり、毎年四月、盛大に慰霊祭をとり行い、
その遺徳を偲んでいる
湛月浄円居士 | 宝暦四年八月廿二日 | 割腹 | 萩原勘助貞次 |
義峯宗卓居士 | 同年 八月廿四日 | 同 | 石塚仁助 |
自天養心居士 | 同年 九月十日 | 同 | 鮫島甚五左衛門 |
雲津梁門居士 | 同年 九月十一日 | 同 | 横止治左衛門(横山治左衛門?) |
枯岩意休居士 | 同年 九月十九日 | 同 | 稲富市兵衛 |
應相栄元居士 | 同年 九月廿日 | 同 | 吐田軍七 |
諦元清空居士 | 同年 九月廿一日 | 同 | 貴島助右衛門 |
善好理元居士 | 同年 九月廿三日 | 同 | 藤井彦八 |
実相本休信士 | 同年 六月廿六日 | 同 | 永田佐右衛門家来 関 右衛門 |
自現覚了信士 | 同年 七月廿七日 | 同 | 弟子丸小右衛門家来 角助 |
観元永喜信士 | 同年 十月十日 | 同 | 仲間 八内 |
空山道鉄信士 | 同五年三月十三日 | 同 | 野村藤蔵家来 姓名不詳 |
元山道永信士 | 同年 四月廿八日 | 同 | 若松円積下人 八郎兵衛 |