INDEX > 日本の川 > 木曽川水系 > 宝暦治水 > 心厳院 薩摩義士墓 Last update 2008/01/26
世界測地系 北緯35度16分25秒 東経136度38分53秒
岐阜県輪之内町
28 063 393*44
心巌院薩摩義士の墓(県指定文化財)
墓碑
宝暦四年戊天
皈真體道禅定門
八月八日
薩州鹿児島之内
小山田住八郎左衛門
この墓は、現在の鹿児島県姶良郡加治木町小山田に住
んでいた八郎左衛門のものと伝えられています。
宝暦治水工事は、江戸幕府が宝暦三年(一七五三)薩
摩藩に命じた御手伝普請で、木曽三川の洪水対策工事で
す。
工事は、莫大な費用と多くの薩摩藩士を犠牲にしまし
た。特に大榑川の洗堰築造工事は難工事で、病充する者、
エ事遂行の責任や幕府への抗議などから自害する者が続
出しました。八郎左衛門もこうして自害した一人です。
こうした犠牲のうえに現在の輪之内町があるのです。
宝暦治水 薩摩義士之墓 心厳院
大正十三年九月