円楽寺 舛屋伊兵衛の墓

日本の川と災害 > 日本の川 > 木曽川水系 > 宝暦治水 > 円楽寺 舛屋伊兵衛の墓  Last update 2008/01/27


岐阜県輪之内町大藪 円楽寺
MAPCODE 28 124 590*46





宝暦五乙亥年
法名 釋誓終往生
三月廿九日

武州江戸神田紺屋町
俗名 舛屋伊兵衛

薩摩堰人柱墓所

 舛屋伊兵衛の墓(県指定文化財)
 法名 釈誓終往生 宝暦五年三月二十九日

 舛屋伊兵衛は養老郡多良(今の上石津町)の生まれで、 多良の水行奉行高木内膳の下人でした。
 江戸神田紺屋町に住んでいましたが、高木内膳に従っ て宝暦四年九月多良に帰郷しました。
 伊兵衛は大榑川の洗堰工事がなかなか進まないのを見て 「水神の怒りを鎮めなければならない。そのためには人柱が 必要だ」と進言し、自ら濁流に身を投じたと伝えられて います。
 円楽寺の慈賢和尚は、伊兵衛の霊を手厚く葬りました。  死没の年月日は、幕府にはばかって工事竣工の翌日になって います。


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