薩摩堰治水神社

日本の川と災害 > 日本の川 > 木曽川水系 > 宝暦治水 > 薩摩堰治水神社  Last update 2008/01/26


岐阜県輪之内町
MAPCODE 28 125 275*48





薩摩堰治水神社創建碑
美濃國一宮南宮大社宮司宇都宮敢謹書

神社から大榑川河道跡方向(南)を見る

薩摩義士洗堰遺跡の由来
 薩摩堰の・・・木曽・長良・揖斐の三大川に 網の目のような・流に・・って連なりその間に できた区画・・・中・・いい、堤防を築いて水の侵・ を防いでい・した・・・・・かう大・・・ ・揖斐の順に・尺(二・・メートル)・差があるので・ 降るたびに・・・い・川へ・の・・水が・・ 逆流し・・る水といつも・に・・・・防を・・ した・・・ふも・・・洪水・・・・・・にした 人命まで失い・・・という・・・・・・・・・ は水に悩まされたのでした
 こういう・・を・の為政者徳川幕府・・・・・ 幕府はこの大治水・・・・・・か・・・いなり・ ない遠い薩摩藩に命じたのでした・・宝暦四年 正月(一七五四年)藩主島津・・は・時 莫大な・・拾万両を・・して家老平田靱負 総奉行として現地に派遣し八十八名の・・を出し がら、幕府の重圧に耐え・・・・・・・・・・・ の難事業を完遂されたの・・・・・・・・・・・  この大榑川洗堰はその・・・・・・・対・・・ と大藪の間に高さ四・・・・・・・・・・・・・ の石堤(石ばかりで・・堤・・・・・・・・・・ にわたって・築した・・・中の・・・・・・・・ これは長良川の水位・四尺までは・・川・・・ ようにし四尺水位を・・・・・・・・・・・・ 水が流れ込み・・・・・・・・・・・・・・・ ものでした。
 後、明治の改修・・・・・・・・・・・・・ 遮断しましたが当時は尾張藩・・・・・・・・ 締め切ると、尾張側が危険になる・・・・・・・ 許されず洗堰で水の調節をはか・・・・・
 この工事・・・・・・・・・・・・・・・・ といわれ・・・
 ここに薩摩・・・・・・・・・当地が五穀豊穣 地として今日・・・・・・・・・・・・後世に 伝えるた・・・・・・・・・・の記念碑を建立 したのであります。



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