庄内川洗堰

Go Index 日本の川へ戻る 庄内川水系へ戻る Last update 2006/06/05


右 庄内川
左 新川へ



新川洗堰の概要

天明の治水事業
 江戸時代の庄内川流域では大水害が続出しました。これは流出土砂が河床に堆積し、河床が上昇したためといわれています。味鋺村から五条川までがもっとも水害がひどく、堤防の決壊による大被害で全村が移動したという記録もあります。
 また、庄内川の河床の上昇により大山川などの支川の排水が悪くなり、庄内川右岸の地域(庄内川以北)は湿地化していきました。
 こうしたたび重なる庄内川右岸の破堤水害を防ぎ、湿地化を防ぐために計画されたのが新川の開さく計画です。
 工事は味鋺村内の庄内川右岸堤を一部低くし、ここに長さ40間の洗堰をつくって庄内川の水を分流し、大山川や五条川などを合流させて伊勢湾まで約20kmにおよぶ川を掘ろうというもので、天明4年(1784年)に着手し、天明7年(1787年)に完成したといわれています。そしてその費用は40万両にものぼり、藩全部の御蔵米を売却してもなお不足するほどの大金を要しました。工事は沿川数百ヶ村農民が加わり、200ヶ所の各地で一度に工事が開始されたと伝えられています。永年水害に苦しめられてきた沿川農民のひたむきな治水事業に対する願望が秘められているといえます。
 洗堰はその後何回となく修理が行われ、今もその重要な役わりをはたしています。なお将来は庄内川の改修を進めることにより、新川への負担を軽減することとなっています。

建設省庄内川工事事務所 TEL.914-6711
(現地説明板記載内容)



平成12年9月11日〜12日洪水時の越流によって生じた洗堰下流側の浸食状況

元はグラウンドとして利用されていた



越流により破損した洗堰表面ブロックの応急補修状況












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