植田九一先生顕彰碑

Go Index Back 豊川水系へ戻る Last update 2002/08/08


従五位勲四等
植田九一先生顕彰碑

(裏面記載内容)
 豊川は,昭和四十年豊川放水路が完成するまでは,堤防欠壊による大災害を防止するために設けられた霞堤から侵入する冠水被害は農作物は勿論,家屋人畜に及び地域の発展を阻害した。
 豊川放水路は地域住民の期待に応えるために,昭和十三年豊川の直轄改修事業として着手されたが,戦時体制下のため工事は着工されなかった。
 植田九一氏は戦後,地域住民の切望する豊川放水路着工のため家業をなげうって東奔西走し,昭和二十五年七月十九日豊川改修期成同盟会を発足させ,地域全体の人々にも呼びかけ,昭和二十八年八月十二日愛知県豊川改修工事促進期成同盟会の結成となった。
 豊川放水路工事は本格的に事業が進められ遂に昭和四十年六月に竣工し,豊川右岸の霞堤は締切られ本流の改修工事も遂行された。以来洪水による被害は無くなり,今日の如く関係地域の発展を見るに至った。
 植田九一氏はこの事業遂行のため,昭和三十年五月から市議会議員となり豊川改修事業促進のため,日夜献身的に努力した。昭和四十六年五月より昭和四十八年五月まで豊橋市議会議長を勤め,愛知県市議会議長会会長の要職に就き,公共事業促進の水源地域対策のための立法にも努力された。
 昭和四十七年二月に発足した豊川水系総合開発促進期成同盟会理事として,朝倉川並びに神田川改修促進期成同盟会の顧問として適切な指導をされた。
 植田九一氏の豊川水系にかかる治水事業促進に貢献された功績を讃え,ここに碑を建立する。
 平成七年二月吉日 豊川改修期成同盟会


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