百間川

Go Index 日本の川へ戻る 旭川へ戻る Last update 2003/06/08



河口水門から上流をみる

河口右岸堤防



砂川合流点付近





























百間川の概要 1.百間川の経緯  岡山城の築城(1590〜1598)に伴い旭川の流路を蛇行して付け替えたことで狭くなり、城下は度重なる洪水を受けることとなりました。特に承応3年(1654)の大洪水を契機に熊沢蕃山(陽明学者)が「川除けの法」(越流堤と放水路を組み合わせて洪水対策を行うこと)を考案し、津田永忠に語ったのが百間川築造の発端といわれています。  当時の百間川は三段方式の荒手(越流堤)により旭川の洪水を当地区下流に越流反乱させるもので、寛文6年(1669)に着工し、貞享3年(1686)に完成しました。しかし、堤防はきわめて小規模なものでした。  なお、「百間川」の由来は、「二の荒手」(中島竹田橋直下流)の幅が導流堤を含め百間(約180m)あったことによるものです。 2.現代の百間川改修  当初の百間川は約300年もの間、城下の洪水対策に役立ってきました。現在の百間川の整備は旭川に6,000m3/sの洪水が出たとき、2,000m3/sを百間川に分派する計画として事業を進めています。  昭和49年度より本格的な工事を開始し、堤防・低水路掘削・橋梁や用排水路付け替え工事等が行われていますが、平成9年3月には全川にわたって堤防が完成しました。  また、百間川は岡山市街地を貫流しており、その空間は豊かで潤いのある水と緑のオープンスペースとして、多くの方々に利用されています。






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