百間川河口水門

Go Index 日本の川へ戻る 旭川へ戻る Last update 2003/06/08












百間河口水門今昔のあらまし

百間川とは今から三百年前(西暦一六五二年)旭川の氾濫で岡山城(烏城)が本丸まで浸水したことから熊沢蕃山が旭川放水路として計画し津田永忠によって築造された延長十二キロメートル余りの人工河川である。
この河川は元禄時代(西暦一六九二年頃)の干拓工事により堤防と水門によって締め切られ軟弱地盤上の盛り土として大変苦労し若い娘を人柱にした伝説がのこっている。

百間川河口部は昭和三十六年の第二室戸台風による大災害を契機として昭和三十八年度から直轄海岸施行区域に告示され河口水門を含めた岡山海岸百間川河口部の改修工事に着手し五ヶ年の歳月と十四億円余りの巨費を投じて昭和四十三年度(西暦一九六八年)三月竣工したものである。
百間川の洪水を排除し高潮を防御し塩害を防止することを目的としている。

百間川流路延長12.9km−流域面積16.3km2

百間川河口部事業概要
1.水門規模
 径間形式 20m×6連 可動堰
 敷面 TP-2.20m(TP4.00m水面)
 管理橋 スパン23.00m×6連 巾員4.00m
2.ゲート形式  鋼製ローラーゲート(純径間20.00 扉高6.00m)
3.水門計画排水量 1,200m3/s
4.海岸堤防計画 T.P+4.70m





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