横土井

Go Index 日本の川へ戻る 六角川水系に戻る 牛津川へ戻る Last update 2005/10/13


牛津川堤防から横土井跡を見る

山付け部から見る



土木遺産として一部残された横土井

山付部



横土井よこどい(通称「よこでい」)
 横土井は江戸時代前期の寛永年間(1624〜1644年)に佐賀藩の命で、成富兵庫茂安が近隣一帯の穀倉地帯を水害から守るために築いた堤防です。これによって下流域の生活は守られましたが、反面、上流域はしばしば被害に見舞われる水害常習地帯になりました。以来、横土井は破堤と修復を繰り返し、高さや幅等を大きく補強して現代まで保全・活用されてきました。
 平成7年度、牛津川流域の河川改修に伴い撤去される事がきまりました。そこで近代土木遺構として県下でも希少な価値と、地域住民の生産と生活を賭けた闘いの往時を偲び、ここに歴史的役割を終える横土井の一部を保存することにしました。

成富兵庫茂安(1560〜1634)
 佐賀藩の武士として佐賀(佐賀市鍋島町増田)に生まれ、文禄・慶長の役など各地の合戦に参加しました。
 1600年の「関ヶ原の戦い」を期に、幕藩体制確立期の都市計画や農村計画が進められるようになりました。そこで、田畑の安定と新田開発を行い藩の収入を確保させる目的で、1615年頃から数多くの治水事業を行い、嘉瀬川の石井樋、北茂安町の千栗土居、中原・三田川台地の蓑原水道や多久市の羽佐間水道等を構築し、今日の農業生産基盤をつくりあげました。
 横土井西端の県道別府牛津停車場線西側沿いには、現在も羽佐間水道が流れており、羽佐間・砥川を経て佐留志に至るまでの水田を潤しています。



「小城御境目 松瀬江筋」図
(多久市文書・多久市郷土資料館蔵)
 江戸時代から多久に伝わる多久家文書のうち、横土井が記されている絵図。
 図中、下部(南)を横ぎる緑線が横土井。


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