伊勢湾台風記念像 愛と力の筏

日本の川と災害 > 日本の災害 > 伊勢湾台風 > 伊勢湾台風記念像 愛と力の筏  Last update 2008/07/09


名古屋市南区大同高校大同グラウンド南

伊勢湾台風記念像 愛と力の筏

高潮水位



 昭和三十四年九月二十六日夜の伊勢湾台風 による高潮は 台座にしるす標識の高さに及 び 逆巻く怒濤と狂奔する流木とにより こ の地区は一瞬にして阿鼻叫喚の巷と化した
 この時にあたり 泥海に屹立する本館は月 余にわたり二千余名の避難者の救いの場とな り 全校生徒は 率先して 人命救助 傷病 者救護 人員物資の輸送 汚物の清掃 生産 の復興など献身的な活動を続け ついに総理 大臣から「抜群の功労」として表彰されるに 至った
 よって これら純真な学徒の愛と力の姿を 長く伝えて その行為を顕彰すると供に後 進の鼓舞激励に資するものである


 昭和三十四年九月二十六日夜の伊勢湾台風 による高潮は 台座にしるす標識の高さに及 び 逆巻く怒濤と狂奔する流木とにより こ の地区は一瞬にして阿鼻叫喚の巷と化した
 この時にあたり 泥海に屹立する本館は月 余にわたり二千余名の避難者の救いの場とな り 全校生徒は 率先して 人命救助 傷病 者救護 人員物資の輸送 汚物の清掃 生産 の復興など献身的な活動を続け ついに総理 大臣から「抜群の功労」として表彰されるに 至った
 よって これら純真な学徒の愛と力の姿を 長く伝えて その行為を顕彰すると供に後 進の鼓舞激励に資するものである

「解説」
 右の文は、銅像が建立された当時に書かれたもので、この銅像台座の裏側 にある。
 文中にある「泥海に屹立する本館」とは、この銅像の工法二十メートルに 位置していた四階建ての校舎であるが、老朽化のため平成十五年に取壊され た。
 この銅像は、名古屋出身で当時日展審査員であった野々村一男氏(現在、 日本芸術院会員、名古屋市西区)の手によるものである。野々村氏の作品で 馴染み深いのは名古屋駅前(桜通口)にあったブロンズ像(青年像)である。 高さ四・六メートルの巨大な青年銅像であるが、伸び行く青年都市名古屋を 象徴したものと言われている。現在は地下鉄桜通線工事のため撤去の後、名 城公園に移設され、訪れる市民の目を楽しませている。
 さて、どのような経緯で野々村氏がこの銅像を制作するに至ったかは不明 であるが、若者が雄雄しく危難に立ち向かう姿が見事に表現されている。歴 史に残る大災害をもたらした伊勢湾台風の痕跡と、若者の勇気とボランティ ア精神の発露を後世に残すものである。
 災害は時を経るに従って人々の記憶から忘れ去られて行く。我々はこの銅 像を仰ぎ見るとき、災害に遭われた方々のご冥福を祈ると供に、二度とこの ような災害が起こらないことを祈念しつつ、この銅像を南区の記念碑の一つ として大切に保存していきたいと考えるものである。
    学校法人 大同学園
    大同工業大学大同高等学校


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