田辺朔郎

Go Index Back 琵琶湖疏水に戻る Last update 2001/11/14




 田辺朔郎は文久元年(一八六一)江戸に生れる 明治十五年(一八八二)工部大学校学生であった田辺は京都の衰微を回復するため琵琶湖疏水の実現に奔走する京都府知事北垣国道に会い請われて翌年京都府に着任し財政と技術を案ずる反対派の説得に知事を助け,明治十八年(一八八五)起工後は設計,施工の総責任者となる。当時はほとんど機械,資材とてなく,いわば人力のみに頼る長さ二四三六米の長等山トンネルの工事は困難を極めたが,卓抜な技術と強い信念,不屈の精神力によりこれを克服した。また優れた先見性により世界で二番目の水力発電をこの蹴上の地に実現し,産業動力源とするとともに,わが国初の路面電車を京都に走らせた。
明治二十三年(一八九〇)四月,晴れの通水式を迎えた田辺朔郎は二十八才であった。
 わが国土木技術の黎明期を開拓した偉大な先覚者であると同時に,近代都市京都の基礎をつくった恩人田辺朔郎の像を建てここに顕彰する。

京都市

工學博士田辺朔郎君紀功碑


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