品井沼干拓記念碑

Go Index 日本の川に戻る 宮城県内の川に戻る 高城川に戻る Last update 2003/08/22


傳萬古

品井沼干拓記念碑建立記 宮城県知事三浦義男題額
宮城黒川郡志田郡に跨る四千七百町歩を包有する品井沼干拓の偉業成り品井沼土地改良区設立十周年に当りここに記念碑を建立しこれ を永く後世に伝えることに誠に意義深い事といわねばならない 品井沼干拓排水事業は諸を遠く元禄時代に発しているが 気象観測の技術や気象上の資料にも乏しく又現代のような進歩した機械力の助けも借りずに潜穴二条の掘鑿と沼口より松島湾までの開 渠工事等を起工以来五ヶ年の歳月と多大の労資を費やして成し遂げ沿岸の水害を除いた上新たに六百余町歩の美田を開いたことは一大 偉業と讃賞すべきである明治二十二年沿岸五ヶ町村組合が設立されて排水応急対策が行われたが明治三十四年これを廃止して品井沼水 害予防組合を設置し宮城郡長を管理者に当て総代五名と組合議員十五名が選出されて干拓事業が活発なる活動を開始するに至った即 ち精密周到な設計に基づき計画され勧業銀行の融資により明治三十八年着工し五ヶ年の歳月を要して潜穴三条と開渠工事並に高城川の 改修工事等の竣工を見開鑿前の排水量に比し約五、五倍の排水を可能ならしめ既成田の水害を除去し新耕地一千五百町歩を得次いで大 正二年には囲繞堤の築造工事が行われるとともに耕地の造成や維持管理災害防除の施策等が実施され併せて二千二百余町歩の豊沃なる 耕地を得たのであるその後第二次世界大戦となり食糧増産ますます急を告ぐるに至るや開墾助成事業緊急開拓干拓事業国営代行干拓事 業等が実施され昭和三十四年三百七十町歩の農地が造成され品井沼全域にわたる排水干拓事業は一応完成と見るに至った
品井沼水害予防組合の目的とする事業が完了し昭和二十四年度より残務管理に入り昭和二十七年十二月解散式の運びになったこの一大 治水事業が結実したことは鎌田三之助翁父祖三代に亘って盡瘁された苦斗の歴史をはじめ五十余年に及ぶ組合歴代の管理者役職員並に 沿岸耕作者が堅く団結し自然の暴威と斗い幾度か窮歯困憊に追いつめられ傷心失望に喘ぎながらも起ち上って防禦と建設に死力を盡く した結果報いられたものでありその間水魔ととの斗が生み出した悲しい犠牲や身を忘れて陣頭に活躍した先輩の苦心に対して尊敬の念 を新たにし深甚なる感謝を表する次第である昭和二十四年六月土地改良法が公布されや県下に先んじて昭和二十六年六月品井沼土地 改良区が設立されここに十年その間水防に土地改良に災害復旧工事に用排水の維持管理等組合員の福利増進の為盡くされた役職員各位 の功績は極めて大である品井沼干拓事業は一応完成したといえどもこの地は水害受難の宿命を負う地である例年の台風季には水魔との 斗争は今なお絶えることがない然しながら先輩諸彦が成し遂げた干拓事業の総仕上げとして水害除去の諸事業を完成し真に農民の理想 郷とすることは土地改良区は勿論沿岸三町の責務である 我が国経済は近年高度の成長を辿りつつあり政府に国民所得倍 増計画を推進しているが農業は豊作によってもなお貧困から脱却し得ない現状である水害地はなお然りであるこのときにおいて地域力 農民は一致協力万難を排除して水害対策の完成のため邁進されるよう期待して此の記を誌す所以である
 昭和三十六年四月二十日
 鹿島台町長菊地良逸撰
 品井沼土地改良区建立

(裏面)
品井沼干拓役職員名 明治三十四年以降 記念碑建立委員
(略)



(宮城県志田郡鹿島台町 北緯38度26分47秒 東経141度05分05秒)


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