羽地大川改修顕彰碑

Go Index 日本の川に戻る 沖縄県内の川に戻る 羽地大川に戻る Last update 2004/03/18


羽地大川改修顕彰碑

昭和四十六年辛亥六月吉日 羽地村建之


(名護市川上公民館敷地内)

(裏面)

大川来歴記
大川の歴史を遡って享保の昔国司蔡温直々の采配下に北部の百姓たちの命運をかけて治水事業が強行されたことは周知のことである
然るに呉我港に注ぐ一衣帯水の流れは長くゆるやかに所々滞水して屡々災害を招いた 殊に明治四十三年十月の大洪水は上流のタクジ坂の山崩れが因になって下流の美田を一挙に流失するという大惨事を惹起した
ここにおいて親川登喜新城新吉平良盛吉ら村方有志による本河川の抜本的改修が企図され即ち一に流域を変更して仲尾次海に注ぐ短流となす二に水路の五箇所に堰堤を築き奔馬の急流を制御するなど最も目新しい構想設計に基き村又は県の事業として取り上げるよう奔走大いに努めたが終に成らなかった
かくて歳月は流れ奮然救荒に起ち上った親川らの意図は最早挫折したかに見えたが三士の人となりは不撓不屈遂に村県を揺り動かして援助金を取りつけ一方地内の反論を説得して大正六年六月仍ち関係地主による耕地整理組合を組織設定して待望の河川事業に踏み切ったのであった
以来功を積むこと二十有一年出役実に五万昭和十三年竟にこの大業を完成して大川の暴力に終止符を打った
茲に三氏に協力して改修事業に盡瘁された宮城真治宮里松助島袋久重ほか関係者の往年の功績を顕彰して碑を建つ
   昭和四十六年辛亥六月吉日  羽地村建之
          宮城金徳 世話人
          比嘉宇太郎 撰文
          中村三男 謹書


Go Index 日本の川に戻る 沖縄県内の川に戻る 羽地大川に戻る upページトップへ

kasen.net Copyright (C) 2004-